2018年1月 剣友会だより

新しい年が始まりました。
気持を新たに、今年も稽古に励みましょう。

当会のホームページに関しても少し改めまして、以前の掲示板を廃し、剣友会だよりを開始いたしました。
各役員が毎月1回交代で記事を書いていく予定で、今月は事務局の吉田が担当いたします。

さて、皆さんは歴史上の偉人である福沢諭吉をご存知だと思います。文化・哲学・政治・教育など様々な分野で活躍した有名な人物ですね。あまり詳しく知らなかったとしても、著書の「学問のすゝめ」や、名言「ペンは剣よりも強し。」「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず。」などは聞いたことがあるのではないでしょうか。

では、福沢諭吉が居合の達人だったこともご存知でしょうか。
文化人的なイメージがあるので意外かもしれませんが、居合に関しても相当なものだったようで、かなり苛烈なエピソードもあります。その内容をウィキペディアから引用してみましょう。

諭吉は、若年の頃より立身新流居合の稽古を積み、成人の頃に免許皆伝を得た達人であった。ただし、諭吉は急速な欧米思想流入を嫌う者から幾度となく暗殺されそうになっているが、斬り合うことなく逃げている。無論、逃げる事は最も安全な護身術であるが、諭吉自身、居合はあくまでも求道の手段として殺傷を目的としていなかったようであり、同じく剣の達人と言われながら生涯人を斬ったことが無かった勝海舟や山岡鉄舟の思想との共通性が窺える。

晩年まで健康のためと称し、居合の形稽古に明け暮れていた。医学者の土屋雅春は、諭吉の死因の一つに「居合のやりすぎ」を挙げている[74]。晩年まで一日千本以上抜いて居合日記を付けており、これでは逆に健康を害すると分析されている。

明治中期より武術ブームが起こると、人前で居合を語ったり剣技を見せたりすることは一切なくなり、「居合刀はすっかり奥にしまいこんで」いた[75]。流行り物に対してシニカルな一面も窺える。

—ウィキペディアより—

「居合のやりすぎ」が死因の一つと言われるとは、相当な入れ込みようだったに違いありません。また、暗殺されそうになって逃げるというのは一見情けなさそうに感じますが、いざその憂き目にあったとして、殺意をもって襲いかかってくる相手から身を守って逃げ切るということは、なかなか簡単なことではないように思います。普段からの鍛錬あってのものでしょう。

現代社会に生きる我々は、さすがにこれほど稽古に精を出すことは難しいとは思いますが、やはり武道をやっているという以上は、普段からも最低限の鍛錬は心がけていきたいものです。

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大阪剣友会
事務局
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