2018年6月 剣友会だより

※ 演武前日に仕上がった記事ですが、事務局の都合で送信が演武後となりました。

7月ですが、6月剣友会だよりです。(笑)
梅雨も終わり、一気に夏到来の今日この頃ですね。
皆さん夏バテせずにお過ごしでしょうか?
とうとう奉納演武が、明日に迫ってまいりました。
日頃の稽古の成果を発揮すれば、良い演武ができると確信しております。頑張りましょう!!
さて、今回は毎年演武でお世話になっております、豊崎神社について少し触れさせて頂きます。

“以下ホームページより引用”
当社は、大化の改新(645年)後、遷都された難波長柄豊碕宮の旧跡地とされております。孝徳天皇の崩御後、松林となり果て、八本松と呼ばれたこの地を哀れんだ一条天皇が、藤田重治にこの地の開発を命じました。孝徳天皇の故宮を忘れてはいけないと松林に小さな祠を建て、孝徳天皇をお祀りしたことが始まりとされております。
明治5年村社に社格が上がり、明治41年に村社南長柄八幡宮を合祀し、次いで本庄村にあった東照宮社、厳島社を末社に合祀されました。
昭和19年、遷都1300年祭が齋行され、それと同時に社格を官幣大社豊崎神宮に昇格する為の申請を当時の宮内省、内務省に願書提出の内諾を受けました。しかし、終戦を迎えた為、社格昇格は無期延期となりました。
しかも同年6月1日に空襲に遭い社殿は炎上してしまいました。現在の社殿は昭和39年10月15日に鉄筋コンクリート造りで復興いたしました。
「氏神神社 豊崎神社」は通称「豊崎宮」と申しまして、氏子、崇敬者の皆様のご奉賛により祭祀、維持運営いたしております。

と、何とも歴史の古い由緒正しい神社のようです。
さらに同じ敷地に祀られている、鹿島神社は江戸時代の初め、この地域で疫病が流行り、その流行をおさめる為に常陸国(茨城県周辺)の鹿島神宮より勧請されました。武術の上達や病気平癒、身体健康の神様との事です。
“武術の上達” 私たちにとっては、願ってもない御利益ですね。明日はしっかりと参拝し、演武に臨みましょう(笑)

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2018年5月 剣友会だより

もう6月ですが、剣友会だより5月です。
いよいよ7月の演武会の日程も決まり、今は通常の稽古ではなく、演武の練習が主体になっています。
演武に出られる会員の皆さん、熱心に練習していますので本番が楽しみです。

さて、大阪剣友会では居合・抜刀術の他に剣術の稽古も行われています。
仮想敵に対しての型稽古が主体の居合や抜刀術では会得する事が難しい敵との間合や呼吸、お互いの力の強さや方向を感じる事等を学ぶ為にも、剣術の稽古は重要であると思います。

特に「間合」については、相手と自分との空間的な距離間隔というばかりでなく、さらに深い意味の心との間合という形に現れない微妙なものがあります。「一足一刀の間合」はひとつしかないにもかかわらず、互いに遠近の差が感じられるのはなんとも不思議に思われます。
そこで「間合」についての一刀流の「敵より遠く、我より近く」という教えを紹介したいと思います。

三、遠近之事
相手を己より遠く離し、吾れには容易に近寄れず届かぬようにしておきながら、己は相手に近くあって立ち所に切り突く事ができるようにする事が心得である。彼我は同じ距離であるのにどうしてそんな差ができるのか、それは体と心の持ち方によるのである。つまり彼我の心の働きによって、近きに遠きあり、遠きに近きがある。同じ距離が近くなったり遠くなったりするのである。「一刀流兵法十二ヶ条目録」

剣術だけでなく居合や抜刀術を学ぶ者として、「間合」の持つこの相対性を十分に身につけ理解する事は必要不可欠といえるでしょう。

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2018年4月 剣友会だより

もう既に5月に入ってしまいましたが、4月号の剣友会だよりです(笑)
ここしばらくは武道豆知識や難しい内容が続きましたので、今回は当会の年間行事に関して書きたいと思います。

当会では、稽古始め・春季審査・演武・暑気払い・秋季審査・忘年会(新年会)・稽古納め、といった行事を行っています。

稽古始めでは、会長が無外流「四方」を抜くのが恒例となっています。
今年一年の会の発展と無事故を祈願し、新たな年の幕開けを新たな気持で迎えるための区切りとなる行事です。

春季審査・秋季審査は、受審資格を得た会員が昇級・昇段を目指し、全力を出し切る場となっています。審査員である役員も受審者と同じく、緊張しながら一挙手一投足をチェックしています。

演武は、日頃の稽古の成果を自他ともに確認する場であり、当会で最も大きな行事と言えるかと思います。大阪市北区にある豊崎神社の夏祭りの期間中に、大勢の参拝者が見守る中で行われます。

暑気払い・忘年会(新年会)では、会員の交流の場として宴席を設けています。稽古内容・武術に関すること・その他プライベートな話題など、普段の稽古の時とはまた違った雰囲気です。

稽古納めは、その年を締めくくる重要な行事です。その年に選ばれた代表者が、会員全員の前で竹明流の「四方払い」を抜きます。

武道の稽古というのは自主的かつ地道に行うというのが本道であるとは思いますが、やはり多少の変化がないとマンネリ化してきますし、節目があることによって稽古の楽しみもより感じることができるのではないでしょうか。

さて、7月には演武も控えておりますので、段々と暑さが増してくる季節ではありますが、共々に精進して参りましょう。

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2018年3月 剣友会だより

すっかり春ですね。「春」は、寒くて長い冬が終わり、「何か新しいことをはじめたい!」という気分になります。

さて、江戸時代には「十四事」と言われ、最も重んじられた武芸に、射・騎・棒・刀・抜刀(いあい)・撃剣・薙刀(なぎなた)・鎌・槍・鉄砲・石火箭(いしびや)・火箭(ひや)・捕縛(とりで)・拳(やわら)があります。今日は、そのうち剣術・撃剣についてお話します。
「刀で切る技」である剣術に対して、刀剣・木刀・竹刀(しない)で相手をうち、自分を守る武術を撃剣(げきけん)といいます。
実際に剣を使って渡り合えば、切るばかりでなく、剣で打つ場合もあって、両者が完全に分離しているわけではないと思うのですが、武術の十四事においては、剣術と撃剣は別々の武術として並べられています。
おそらく、江戸時代の剣道道場などでも、ふたつはともに刀剣・木刀の術として扱われ、剣術家と撃剣家がまったく別種の人とは認識されていなかったでしょう。
明治の世になり、武士の身分がなくなると、各地の道場で稽古を続けてきた武芸者にとって、剣の技は無用のものとなってしまいました。
剣術師範として雇ってくれる藩が消滅してしまったのです。
「武士の魂」とまで尊ばれた剣術が、新政府にとっては無用の長物となり、新政府にとって、西欧と戦える大砲術や騎馬兵術は必要であっても、一対一で剣を構える戦い方は意味のないものになってしまいました。
剣道が武術として命運尽きようとした時、その一歩手前で踏みとどまらせたのが、榊原鍵吉(1830 – 1894)という人です。
最後の剣客と呼ばれた榊原は、剣術を相撲興行と同じように、客の前で強さを競い合う試合として披露することを思いつきました。
木戸を建てて入場料をとり、剣客同士が戦うのを、観客はひいきの人を応援しながら観戦しました。
明治11年(1878年)には、明治天皇が上野に行幸し、天覧試合が挙行されるほどの大人気となりました。
榊原らの撃剣会が成功すると、明治中期までに日本各地で撃剣興業が行われ人気を博しました。しかし、明治中期以後は他の娯楽の流行もあって、段々人気は衰えて行きました。
衰退するかにみえた剣術は、日本警察制度を確立した川路利良(初代警視総監)が、警察官の武術訓練として剣術を取り入れたことにより、命運を保ちました。撃剣術の師範たちは、警察に「撃剣世話掛」として雇い入れられ、榊原鍵吉は師範の選抜にあたりました。
江戸から明治以後の剣術をつないだのが、最後の剣客榊原鍵吉だったといえます。
榊原らの撃剣は、今も警察の「警視流」として、木太刀形(撃剣形)、立居合、が受け継がれています。
二刀流で有名な宮本武蔵のように、剣の道一筋だった剣客は、剣の道を突き詰めていくと、哲学に通じるものになってしまったように、日本の武道は、決して「強ければよい、相手をたおせばそれだけでよい」というふうにはならず、美しさ、潔さ、など多分に精神的な修行のようになっていくところが、他の武術とはかなりかけ離れているように感じてなりません。

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2018年2月 剣友会だより

最近日中は暖かくなってきましたね。
春はもうそこまで来ています。

先日、春季昇段級審査が実施されました。
若い会員2名が一級を受審されました。
やはり若いだけあり、元気で力強さの感じられる審査となりました。
熱心に稽古に通っている二人なので、稽古の成果が充分に出ていたと思います。

今回は一刀勢法の十二本が審査項目の中心でした。
二人共、基本に忠実にとても良く出来ていました。
私達有段者も基本を大事にする事の大切さを今一度見直してみたいと感じました。

そこでこんな読み物を思い出しました。
この言葉は一刀流の極意そのものです。

[一刀は万刀に化し、万刀は一刀に帰す]
一刀流の定理は万有が一に初まり一に帰する原則にたつ。
この理による組太刀はいろは四八文字に譬えられる。初め習う時には、い、ろ、は、と一文字づつ順順に覚え、一旦覚えたらその順序を捨て必要に応じてこれらを自由に組み合わせ言葉をいい、文章を綴って用を弁ずる。
組太刀もそのように初めは一本一本正しく習い、覚えたものが後には敵の有様に応じ、いずれの用にも働き得るようにする。
たとえば切落の一本の理が組太刀百本に乗り移り、百本の技が切落一本に帰する。
百本の技が各々離れ離れにならぬ様に一貫して一本につかう。
笹森順造著「一刀流極意」

応用とは基本に立ち返ることであると言えるでしょう。
この言葉を大切にしながら、これからも稽古に励んでいきたいですね。

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